「歌うための身体」という考え方

人という生き物が声を出し、喋り、歌を歌うための身体的なメカニズムを考えてみますと、それはそれは複雑で、奇跡的で、芸術的にすら感じるほど素晴らしいものです。

声帯というたった一つの小さな振動体から、これほどまで多彩な音色を出せ、こんなにも広い音域を鳴らすことができる楽器というのは、そうそう無いでしょう。また、声というものによってこれほどまでに高度なコミュニケーションをとることができる生物は、きっと人間だけでしょう。

そしてその素晴らしい「歌う(声を幅広く、思い通りに使う)」機能は、人間ならだれしも生まれながらに肉体に備わっているのです、なんて素晴らしいことなのでしょう!

 

…はい、なんか怪しい洗脳っぽい文章になってきましたが、ボイストレーニングを広く深く知っていくためには、こういう「歌うための身体」という概念(というか教義に近いなにか)を知っておく必要があるかもしれません。

箇条書きで書くと、

  • 歌うことができるって、実はすごいことだよ!人体すごい!
  • しかもそれって誰でも生まれつき持ってる能力だよ!人体すごい!
  • そのすごい人体をありのままに使うことで、もっとも自然にイイ声が出せる!

…みたいな感じ。

 

この考え方にもとづくと、声に問題が起こるのは「歌うための身体」を自分で邪魔しているから、ということになります。

例えば、本当はだれでも3オクターブ前後は声を出せるはずなのに、それができないのは無駄な力みや力の偏りのせいだ!みたいな。

例えば、本当はだれでもホールを一人でいっぱいに響かせることができるくらい声量があるはずなのに、それができないのは生活習慣や誤ったトレーニングのせいだ!みたいな。

ボイストレーニングの目的は筋トレのように筋肉の絶対量を物理的に増やすことではなく、無駄な力みや強張りを無くしてバランスをとることで、人体が本来持っているはずの「歌うための身体機能」を回復させていくこと、という考え方になります。

 

さまざまな流派のボイストレーニング方法がありますが、ほとんど全ての方法論において、この「歌うための身体」という概念が多かれ少なかれ影響しているのではないかと思われます。

「とりあえず脱力が大事!」「とにかく自然体が大切!」みたいな話は、少しボイストレーニングをかじった人なら何度も聞かされた経験があるんじゃないかと思われますが、つまりそういうことです。

 

 

 

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